日本経済新聞

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綴りプロジェクトとは
田辺孝次さん

田辺幸次さん

(たなべ こうじ)

特定非営利活動法人
京都文化協会理事

京都文化協会

(きょうとぶんかきょうかい)

デジタル技術と京都の伝統工芸の技を用いて貴重な文化財及び伝統文化を保存し、京都の文化復興と伝統文化の発展に寄与することを目的に設立。綴プロジェクトを主催。

京都文化協会理事インタビュー 綴プロジェクト

その姿をできるだけ多くの人にお見せしたい

プロジェクトを始めたきっかけは?

田辺 

京都文化協会は、約10年前に文化財のデジタル・アーカイブをつくる目的で、その母体が発足しました。当初は、文化財の画像を高精細デジタル画像として記録し、未来に向けて大切に保存をしていこうという活動をしておりました。そうした活動の中で、文化財を所有するお寺さんなどから、文化財の複製をつくることができないかという相談を受けるようになっていきました。それはなぜかというと、文化財は貴重であるが故、博物館に寄託して大切に保管をしてもらっている場合や、また、お寺さん自身が所蔵していたとしても一般の参拝者への公開を規制するケースが非常に多いんです。もちろん、博物館に保管されていても所有のお寺さんに戻して展示することは可能ですし、一般の参拝者へ一年中公開することも可能です。しかし、その思いが逆に文化財を傷つけることにつながる。また、そのような貴重な文化財の劣化を防ぐため国宝や重要文化財に指定されている作品は文化財保護法により一定期間しか展示が出来ないことにもなっています。

しかし、お寺さんなどにとっては、その作品があってこそ本来の姿なわけですから、何とか作品をもともとあった場所で展示し、その姿をより多くの人々に出来るだけ長くお見せしたい。そのために複製が制作できないか、というお考えになってきたのです。そのようなご要望を受けて私たちは研究を重ねてきました。高精細デジタル画像技術を持つ何社もの企業のご協力を得てきたのですが、その中でいちばん苦労したのが墨色だったのです。日本古来のその色には無限の色域や階調があり、それを再現しようというのは非常に高度な技術であったため、なかなかうまく表現が出来ませんでした。そんなときキヤノンさんと出会い、記録した文化財のデータとわれわれが開発した和紙を持ち込んで、出力をお願いしました。するとそれまでとまったく違った高精度の複製作品が出来上がりました。墨色の階調が数段階も深く出ていたのですね。それを目の当たりにして、もっともっと日本の色を再現してほしいとキヤノンさんにお願いしました。そこから共同研究が始まり、やがて綴プロジェクトの発案が起こりました。

肉眼のレベルを軽く超える色調整

複製品をつくる作業のおおまかな流れを教えてください。

田辺 

まず、キヤノンさんの技術者によって、デジタル一眼レフカメラEOS-1Ds MarkIIIを使って文化財を多分割撮影するのですね。たとえば海北友松の「雲龍図襖」ですと、襖1枚につき縦7枚、横7枚の計49枚の多分割撮影を行いました。こうして撮影されたデータを、今度は合成して作品全体の精密なデータをつくり上げるわけです。その次がカラーマッチングなのですが、この点は非常に精密に行います。キヤノンさんが開発したカラーマッチングシステムは、肉眼のレベルなど軽く超える色調整を行えるもので、オリジナルの文化財の色調に限りなく近づけていくことが可能なんです。さらに出力は、大判プリンターimage PROGRAFによって世界最高クラスのプリンティングだと思います。

色調整作業風景

これでデジタル技術分野の作業は終わりで、ここからは手仕事の分野になってきます。まず、本画に金箔が施されている場合は、出力した複製作品の上に職人が金箔を一枚一枚載せていきます。近代以前の日本の絵画は襖や屏風になっていることが多いのですね。だから金箔を載せるような加工も施すわけですが、そうなると複製作品も襖や屏風に仕立てていかなくてはいけません。そこで表具師の出番となります。京都には、京表具といわれる独特の表具技術が受け継がれてきました。そんな京表具の伝統工芸士たちが腕を振るって作品を仕上げてくれます。たとえば、300年、400年前に描かれた作品を複製しようとしたとき、どうしたってぴかぴかの襖縁や引き手では不釣り合いになってしまいます。そのため古色付けといいまして、表具師たちにエイジング技術を存分に発揮してもらって、絵の経年変化に見合う襖縁や引き手をつくっていくのです。また、巻物の場合には始めの部分に「見返し」という布が欠かせません。これは雪舟の「山水長巻」のときでしたが、実物と寸分たがわぬ織物を再現しようということになりました。当時の織物はもちろん手織りです。そこで、その複製も西陣織の手織り機を使って熟練職人に織ってもらいました。

なるほど、綴プロジェクトというのは、最新のデジタル技術と伝統工芸の融合なのですね。
分野が異なるように見える技術を束ねるうえでのご苦労はありますか。

田辺 

製作の過程ではさまざまなことがありますから、苦労がないといえば嘘になります。しかし、いいものをつくっていくためのことですから苦に感じたことはありません。最新のデジタル技術を開発するキヤノンさんの技術者と京都の伝統工芸士では、相容れない部分が多いのではないのかと思われる方が多いと思いますが、実は両者は根源的な部分では非常に似ています。両方が同席する製作現場では、次から次へと新しいアイディアが飛び出してくるんです。

伝統工芸士とデジタル技術者の共通点

実際に運営実行していくときに、意外な発見や驚きはありましたか。

田辺 

発見や驚きばかりです(笑)。まず、最新のデジタル技術者も工芸士なのだ、という発見は私にとって大きなことでした。工芸士だといってもデジタル技術を使うのと手仕事とでは、技術的に別の分野に属するのだとは思います。私がいいますのは、物づくりのプロセスとつくり手の気概の部分なんです。よい物づくりのプロセスとは、一から少しずつ緻密に積み上げていくことです。これがキヤノンさんの技術にも伝統工芸にも共通していた。それを担うつくり手の精神の根本を、私は作品に関して妥協をいっさいしない強い意思だと考えていますが、それをキヤノンさんの技術者も伝統工芸士も、どちらも持っておられました。よい物づくりに携わってきた人は同じような到達点に達する。それを発見できたことは何よりの喜びでした。

私たちが複製に携わった文化財は、同じものがふたつとなく、作品が違えばつぎ込む技術も微妙に違い、製作のたびに技術者と工芸士が火花を散らすようにぶつかり合った。そして、その作品にもっともふさわしい技術や技法を発見していったのです。

海外の美術館にも足を運んで、海外へ渡った日本の貴重な文化財を高精細複製作品にして里帰りを実現させました。
その意図と目的を教えてください。

田辺 

綴プロジェクトを発足するときに、どのような文化財複製作品を制作するべきなのか協議を重ね、私たちは大きく3つのテーマを掲げました。ひとつは「歴史をひもとく文化財」、もうひとつが「日本を代表する水墨画」、そしてもうひとつが「海外へ渡った日本の文化財」です。

近代以前の日本の絵画が西洋絵画と大きく違うのは、襖や屏風など生活調度に描かれる場合が多いことです。近代以前の日本の絵画は工芸品に描かれ、生活調度の一部として生活に取り入れ、使いながら美を愛でてきたのだと思います。それならやはり使われていた当時の場所で展示することに非常に大きな意義があるのではないか。海外へ渡った日本の文化財を綴プロジェクトのテーマとする最大の意図はそこでした。

また、たとえばアメリカのフリーア美術館が所蔵している俵屋宗達筆「松島図屏風」やメトロポリタン美術館が所蔵している尾形光琳筆「八橋図屏風」などは、日本国内同様、貴重な文化財を未来へ向けて大切に保存するという目的のため一定期間しか公開をされておられません。よって皆さんが海外へ行かれてもなかなか文化財実物を見ることが出来ない。しかしこれも仕方ないことなのです。そこで私たちのプロジェクトでは極限までオリジナル文化財に近いかたちで作品を複製し本来あった場所で展示、沢山の人々に見て頂きたい。そう思いました。

綴プロジェクトに対してもっともうれしい評価とは?

田辺 

やはり、綴作品を愛してくださる方々からのさまざまな声が一番うれしいですね。一年間をかけて制作し完成した作品を寄贈させて頂く際の各所蔵者の皆様の表情やお言葉、また、全国各地で綴作品を用いた展示会を開催したとき、会場にお越し頂けた沢山の方々の笑顔や応援のお言葉、それが私たちにとっての最大の評価だと感じています。

また私たちの作品は私たちよりも長生きしていくわけです。そして多くの方に見ていただくことができるのです。綴プロジェクトは、私たちが会うことのできない人に作品を手渡していくという意味も持っています。そうした人たちからは評価を聞けません。しかし常々、未来の人たちからも今と同じように愛していただけるような作品を作り続けることが大切な事なんじゃないかと考えています。