日本経済新聞

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中田有紀との旅

中田有紀

中田有紀

(なかだ あき)

東京都中野区出身。
フリーアナウンサー。
日本大学藝術学部放送学科を卒業後、青森放送に入社。4年間勤務したあと東京に戻り、早朝の情報番組のキャスターとして活躍。現在に至る。

大木仁宏さん

大木伸二さん

(おおき しんじ)

近江神宮権宮司

近江神宮

(おうみじんぐう)

昭和15年(皇紀2600年)創建。奈良の飛鳥より大津に遷都した天智天皇を祀る。天智天皇の時代に設置された漏刻(水時計の一種)にちなみ、境内には時計博物館を設けている。「楼閣山水図屏風」の高精細複製作品は、その時計博物館で一般公開されている。なお、オリジナルは琵琶湖文化館(休館中)で保存されている。

第2回 滋賀・近江神宮に曾我蕭白「楼閣山水図屏風」を訪ねて

楼閣山水図屏風(ろうかくさんすいずびょうぶ)曾我蕭白(そがしょうはく)六曲一双

重要文化財の神髄を間近に鑑賞できる喜び

サムネイル

中田
これが「楼閣山水図屏風」ですね。
大木
はい、そうです。これは江戸時代の曾我蕭白という方の絵なんですよ。
中田
とてもスケール感のある個性的な屏風絵ですね。曾我蕭白について教えてください。
大木
18世紀の半ばから後半を生きた画家で、本名は三浦暉雄さんといいます。その生涯は、まだまだわかっていない点が多いようですが、どうやら京都の商家の生まれで、今の滋賀県の高田敬輔さんという方に師事したようです。画風としては“奇抜”ですとか“破天荒”などといういわれ方をされることが多いんですね。有名な作品に「寒山拾得図屏風」があります。寒山と拾得という唐代中国の伝説的な風狂な僧侶で、これを描いた画家は何人もおるんですが、蕭白は非常にみすぼらしい格好に描いているんです。過去の画家と比べると、蕭白は、それまでの常識をすべて破っていった画風の方だと思います。
中田
作品についてお聞かせください。
大木
曾我蕭白「楼閣山水図屏風」部分 縦151.4cm、横366cmで六曲の屏風がふたつで一組になっている。これを「六曲一双」といいます。ふたつの屏風でひとつの絵を表わしているわけですね。向かって左の「楼閣山水図屏風」は、中国の西湖をモデルにして描いたものだといわれていますが、蕭白の頭の中にあった桃源郷、ユートピアを表現した作品だともいわれています。蕭白と同時代の山水画では、これほど切り立った山を描いた作品は少ないそうです。また、ところどころに人物が小さく描いてあるんですけれども、それらの人物を細かく見ていきますと、生活風景がしっかり描いてあります。どの人物たちもとても幸せそうで、見ていますと、私などはその輪の中にすーっと入っていってしまうような感覚になります。この絵の中で遊べるような、そんな絵だという方が多いんです。
中田
確かに、細かいところまで見ていきますと、いろいろな物語が隠されているような感じがしますよね。
大木
そうなんです。釣りをしている人だとか、屋外で楽しく食事をしている人たちが描かれていますね。
中田
描かれている人々が本当に楽しそうです。
大木
はい。この「楼閣山水図屏風」が、何故ここ近江神宮にあるのかと申しますと、ご奉納していただいたのです。もともと所有しておられたのは、伊庭貞剛さんという方でした。この方は、幕末から、明治、大正を生きた大実業家です。事業を拡大するだけなく、公害問題の解決にも心血を注ぎ、今の言葉でいうと企業の社会貢献、これの先駆者ですね。そんな伊庭貞剛さんは、滋賀県の出身だったんです。そうしたご縁で、近江神宮が創建されたとき、伊庭さんのご遺族からご奉納していただいたのです。
中田
なるほど。そうした経緯があったのですね。
大木
ええ。じつは、昭和になってから、近江神宮を創建しようというのが滋賀県全体で盛り上がりましてね。というのは、ここ大津の地は一時都が置かれた地なんです。中臣鎌足とともに大化の改新(645年)をおやりになった中大兄皇子、この方が後に天智天皇になられて奈良の飛鳥から大津に都を遷された。こうした歴史を踏まえ、天智天皇をお祀りする神社を滋賀県民は望んだのです。そして、昭和天皇のご勅許を賜り、皇紀2600年の記念の年である昭和15年に創建されました。幸い近江神宮は戦災にも遭わず、ご寄贈いただいた「楼閣山水図屏風」は、状態良く保存ができました。戦後になって重要文化財に指定を受けました。
中田
「楼閣山水図屏風」を綴プロジェクトによって高精細複製することを許諾されました。その理由をお聞かせください。
大木
曾我蕭白「楼閣山水図屏風」部分 まず、お話をいただいたとき、本当なの、という思いでした(笑)。この「楼閣山水図屏風」が近江神宮の所蔵であるというのはみなさん知っておりましたが、実際見たことのあるのは、職員ですら少なかったんですよ。この屏風は、戦後も近江神宮で大切に保管してきたのですが、昭和36年に滋賀県立琵琶湖文化館ができたのを期に、そちらにお預けして保管、そして広く一般公開していただいたのです。ところが一昨年、事情により琵琶湖文化館が休館になってしまい、一般の方々にオリジナルの文化財をお見せする機会がなくなってしまったのです。そこへ複製のお話をいただき、こうして完成したことによって近江神宮で一般公開できるようになったのです。加えて今年、近江神宮はご鎮座70年祭の年で、しっかりした博物館を造っていこうと計画していたところだったんです。そこへ、まさに渡りに船のように複製の話をいただいた。本当にありがたいなと思いまして、ご許諾をさせていただきました。
中田
「楼閣山水図屏風」を綴プロジェクトで複製し、出来上がったときのお気持ちはいかがでしたか。
大木
ええ、これね、出来上がったときに本当にびっくりしたんですよ。最初は、キラキラというか、テカテカというか、そういうようなものになるのだと思っていたんです。ところが、本当にしっとりとした感覚が実際にあるでしょ。加えて、細かいところの線も、きちっと現物とかわらない、両方並べたときに、本当に、どっちが本物ですかと聞かなければいけないような素晴らしいものだと思いました。
中田
オリジナルの屏風には金泥(きんでい)が効果的に施されています。作品として非常に忠実な再現が求められるところだと思います。キヤノンのプリンタ技術による仕上がり具合はいかがでしょうか。
大木
そうですね、普通の画家が霞(かすみ)を描いたときには、べたっと塗るらしいんですよ。ところが、曾我蕭白さんは、本当に線を引いておられるんですよ。それで、霞というものを浮き出しておられる。それを考えると、本当に忠実に再現されている。ということですね。
中田
一般公開されて拝観される方からの評判はいかがでしょうか。
大木
見られる方のほとんどが、決して高精細複製作品だなんていうことは思っておられなくて、こういう作品なんだ、と。しかし、複製品と表示が出ておりますので、「えっ、これが複製品なの?」という感じはありますね。
中田
みなさん満足されている様子ですか。
大木
それこそ作品についていろいろと説明をしますと、「へぇ、そうなんですか」と、作品にもっと目を近づけて見られるわけですよね。普通、重要文化財だとそんなこともできませんよね。ガラスケースがあって、その中に作品が入っている。近づくこともできない。本当に間近に、直に見られるということは素晴らしいことだと思います。
中田
綴プロジェクトの活動について、どのような感想をお持ちですか。
大木
私ども今現在生きている自分のことを考えてみてもそうなんですね。自分が今何を残すか。子どもたちにいろいろなことをどう伝えていくか。これが大事なことなんですよね。そう考えますと、こういう日本の重要な文化財であるとか、また日本の心であるとか、そういうものを伝えていくために綴プロジェクトが活動しているのは、大変りっぱなことだと思いますね。
中田
今日は本当にありがとうございました。